芦川の学校(上)ー地域の元気の中心に

朝日新聞「第2山梨」やまなしに想う(第3回)(2007.1.20朝刊掲載)


 昨年の7月下旬、笛吹市に合併する直前の芦川村(現・笛吹市芦川町)を訪れた。八代方面から県道36号をたどった。つづら折りの山道を上り、鳥坂峠のトンネルを抜け、坂を下りながら2、3度大きくカーブを切る。次の瞬間、人家と畑と石垣とビニールハウスが、あたかも空間が圧縮されたかのような相貌(そうぼう)で立ち現れた。雨模様にもかかわらず、穏やかな光に満ちた、不思議に明るさを感じる場所であった。
 私が芦川を知ったのは、「山梨不登校の子どもを持つ親たちの会」(通称「ぶどうの会」、代表・鈴木正洋氏)でのことだ。縁あって、この会とは昨年3月以来のお付き合いがあるのだが、メンバーの何人かのお子さんが、芦川の学校に区域外から通学しているとのこと。見学に行ったところ、子どもが「ここなら通える」と言うので転校を決めたという。さらに、そこには、小中学生の子どもを持つ若い親たちを中心とした「芦川の『村』を元気にする会」があって、芦川小中学校(当時は村立)の存続を求めつつ、「学校を生かすことで『村』に活気を呼び戻し、みんなが元気になる」運動を進めているというのだ。私の芦川と芦川の学校への関心は、いやが応でも高まった。なんとか合併前に一度訪れてみたいと考えたのであった。

 当日は、当時の村長さん、教育長さん、それに「元気にする会」の中心メンバーの方々に応対していただき、村内を、ご案内いただいた。小中学校、保育所、村営の食堂、グリーンロッジといった施設に加えて、すずらん群生地、芦川渓谷、そして新井原地区の石垣。すずらんは残念ながら時期を過ぎていたが、「石垣文化住民協定」によって自主的に保持・管理されている石垣には格別なものがあった。小さめの自然石を低く積み上げた石垣のラインが、立体的に、幾重にも折り重なるさまには一種独特な美があり、兜(かぶと)造りの古民家と相まって、芦川の特徴的な景観を形づくっている。
 以来、中学校の文化祭や合同運動会といったイベントの見学をはじめ、「元気にする会」の定例会への参加など、頻繁に芦川に通うこととなった。私がすっかり芦川の魅力に取りつかれたということがあるが、もう一つには、「元気にする会」の運動に共感し、会のメンバーの方々とかかわりを持ちたいと考えたからである。

 登校拒否の子どもが「ここなら通える」と思える芦川小中学校。子どもたちが見いだしたもの、感じ取ったものはいったい何なのか。私はそれを言葉にすべく、芦川に通い、思索を重ねることになる。

 

(にしもと・かつみ=都留文科大学教授)
 

 

 

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