子どもとゲーム

 先日、小一の男の子がゲームにはまってしまい困っている話を聞いた。よく耳にする話であるが、食事処でも公民館でも学校以外の所ではいつもゲーム機を持ち歩いている子どもたちの姿をあらためて考えてみたいと思う。最近のゲームは実に功名で大人もはまってしまう楽しさらしい。お酒やギャンブル等、大人だってほどほどにおさえるのは難しい。本能を理性でコントロールする力量が試される。私は、20代の頃にゲームにはまったことがある。ゲームのやりすぎで目から涙を流しながら100面クリアだと朝までパソコンにむかっていた。当時の私は、何かに没頭することで直面した現実を払拭させたい思いでいっぱいであった。時間とともにその自分を見つめられるようになり、ゲームタイムを終えた。小学校、中学校の多感な時期は、一生を通してみると意外に短い。この時期に失敗を含めていくつの体験をしたか、いくつの生きるヒントを自分でつかめるかが今後苦難を乗り越えていくための大事な大事な糧となる。この大事な時期にゲームに没頭する世の中。ゲームをつくっているのは大人たち。大人たちは、複雑な思いが絡みつつも生活をしていくために仕事が必要なのだと自分のための答えを用意しているのだろう。「生計を立てるため」と「多くの利益を得るため」の差を直面できない理由もあるのだろう。ただ思うのは、テレビアニメの話と同じ感覚でアメリカの大統領や自国の総理大臣の話題をするようになっている深刻な世の中を生き抜かなければならない今の子どもたちにとって、本当にいいことを選んでいきたい。そして、未来に対して自分たちの責任を果たしていきたい。その想いを大人の間で共有するために、それぞれが一歩を踏み出す勇気を持つときが近づいていると感じている。

 

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