現在、南アルプス市の市民ミュージカルに作曲担当として関わっている。ここに参加して、初めて頭の中でとぎれていたことがつながった。これまで、私は音楽や書道、図工など、学校で一所懸命やってもプロになるのはごくわずかだから、とりあえず「そういうものが存在する」ということを体験するだけでいいのだと思ってきた。実際に子どもがリコーダーを練習していても、気の向いたときに助言する程度でそこにあまり神経を使うことがない。先日、市民ミュージカルに応募した子どもの親が書いた履歴書をみたときに、何かが心の中にとまった。その後、約3年前から続いているこの市民ミュージカルのビデオを見て、心にとまったその糸口をつかむことができた。当時、結構な経費をかけて都内からミュージカルの有識者をよんで始ったこのイベントは、田舎の大人も子どもも心を沸き立たせるような大きな思い出をつくった。そこでは、普段考えたこともないような夢をみんなでおいかけた。その大きなイベントは終わってしまったけれど、当時の大人と子どもが一緒になっておった夢は地域の文化力となり定着している。
台本が進むたびに新しい曲をつくり、スタッフに視聴してもらう。厳しい意見もとびかうけれど、元同窓生の合唱部が主体となっているスタッフ陣は一般よりも耳がこえている傾向があり、私にとってはとても楽しみな時間だ。まだ子どもには聞かせてないけれど、きっと子どもたちも期待に応えた反応をしてくれるのではないかと思う。なぜかといえば、あの時に夢をおいかけた子どもの多くが今でもこのミュージカルに参加しているからだ。これ自体が、ここの地域の文化力を示しているのだと感じる。そして、いつの日か本当にプロが生まれるかもしれない。
私はこれまでプロとは、どこにいても芽を出すものだと思ってきた。でも、このミュージカルに関わって考えが変わってきている。プロを生み出すためには、それを評価する土俵が必要である。土俵を担う者もまたその道を評価できる要素が必要である。地域にその要素があるならば、その地域はプロを生み出す可能性をもっているスゴい所なのだと思う。